ばんぎゃる医学生ちゃん!

全身全霊でクソの役にも立たない記事書いてます!!!

イケメンにコロナうつされて、死

 

職場で、彼氏いないんですよー!!!!っていう話したら先輩がイケメン紹介してくれるっていうからご飯行ったら、コロナになりました

 

つらい。

陽の者、この期に及んで連日バーに行ったり、コテージ貸し切ってパーティしたりしてるんだと。

その話に「さすがー!」「えー!すごーい!」「そうなんだー!たのしそー!」とか相槌打ってたあの不毛な時間に得たものがウイルスだけだったの悲しすぎる。

 

日陰者同士ひっそり生きていける人を探そうと思いましたとさ。

とほほ

エッ明後日国試!?やばない???

 

どうもこんばんは。お久しぶりです!

明後日に国試を控えたばんぎゃるちゃんです。(もう誰も読んでないかもしれないけど…書く!)

あまりの緊張ですでに疲弊しきっているものの、なんとか耐えて生きています。えらい!

 

 

ふと思い返せば、お母さんとヴィジュアル系に励まされながらドドドドド緊張でお腹を下しつつ医学部入試に臨んだのがもう6年前なんですね。光陰矢のごとし!

希望に胸を膨らませた、ピッカピカの1年生だった頃を懐かしく思います。

今や晴れてテッカテカの医学部6年生ですが、テスト前にお腹を下す癖は健在です。

 

そして、いまだに普通にマザコンです。

国試にお母さんを連れていこうとしたら、

 

「同じ大学の人に見られたらどうするの!!!ママ絶対行かないからね恥ずかしい!」

 

と怒られてしまいました。

国試にお母さん連れて行く人って、もしかして1人もいないんですか!?!?

そうだとしたら、みんな大人になっててすごいなあと思います。

お父さんはそんな私を見て、哀れに思ったのか急に2万円をくれました。超ラッキー!サンキューマイダディー。

 

ちなみに、初期研修はもちろん実家から1番近い病院にしました。思いっきり実家から通う予定です。それでこそ筋金入りのマザコンというものです。えへ。

 

 

そんな事はさておいて。

今は、本当に本当に受かりたい!の一心。それしか考えられません。

本番までにやりたいことは全部やりきったつもりではいる…。だからこそ、落ちたらかなりショックなのです。なみだ。

ここからはもう何しても無駄だと思うので、大好きな錦鯉とクレヨンしんちゃんを拝んで精神を安定させていきたいと思います。

あと、ビショップスコアは焦ると間違えてしまうのでそれだけちゃんと確認します…。

 

見てくださった方がいたら、こころの中で応援してくださるととってもとっても嬉しいです!もちろんコメントしてくださってもめちゃめちゃ喜び溢れます!!!

頑張ってきますっ!!!!!

ではでは!

こんな時期に浮かれてる女って…

 

6年生にもなって!しかもマッチングやらなんやら忙しいこんな時期に!!!

 

 

 

また恋人つくってしまった…🤦🏻‍♀️

 

 

なぜ?どうして?

もう1人で行きてく!って言ってた2ヶ月前のわたしは何処へ???

 

 

 

しかも…

 

 

 

よりによって見学行った病院の先生と付き合っちまった…🤦🏻‍♀️🤦🏻‍♀️🤦🏻‍♀️

 

 

なんでー!!!

五百歩譲ってもちゃらんぽらんすぎるしっかりして!!!

 

 

 

でもね〜。

見学の時からもう目が合うだけで花火がパチパチ散っちゃってた。

ICUで微笑みあって、お花畑、発生しちゃってた。

あ、運命の人かも、と思っちゃった。

 

そんでもって、あっちからも好きだって言ってもらえたら、もう断る理由ないじゃないか。

 

だから、しょうがないんです!!!

せめてもの誠実さとして、大切にしよう…卵みたいに温めよう…

 

 

 

マッチングはちゃんとがんばりますんでね!!!!!!!

自分の生き方、マジで1mmも考えてなかった話

 

昨日のテストが、全然できなかった。

おそらく落第はしてないし(してないよね?)、私より点数が低い人も多くいるだろう。

それでも、自分で予想していたよりはるかに出来の悪い自分に驚き、悲しくなってしまった。

 

プライドが高くて、負けず嫌いで、完璧主義。

そんな性格のおかげで、今まで受験や各種試験の類はギリギリになることもなくすんなり乗り越えてきた。

 

だからこそ今回のテストはもうウワーーーーッッッてパニックになって逃げ出したいくらい辛かった。

終わったあとは、そこそこ勉強してきた日々を思い出してさらに辛さマシマシになった。「あ、私ってたぶん結構頭わるいな。」と。

 

そういうわけで、昨夜はずっと落ち込んでいた。

いまかいまかと待ち望んでいた金曜の夜なのに、全然清々しくもなんともなくて、しかもお金も持ってなくて、のり弁を貪り食った。

それから最悪の気分で眠りにつき、起きてからは朦朧とした頭でバチェロレッテを朝から見倒したらお昼になっちまっていたので、メイクをすることにした。

 

「どんなに落ち込んでもすっぴんでは外に出ないのは私らしいな」と思いながら、いつもの手順で顔を仕上げていく。何百回も何千回もやっても楽しい、毎日同じようなルーティーン。

最後に、ビューラーでしっかり上がったまつげを見たら、不思議と驚くくらいの元気が出た。

朝暗がりの中でするメイクとは違って、かんかん照りの真昼間に太陽光を浴びながらするメイクは、目蓋に載せたお気に入りのアイシャドウがきらきら光って綺麗だった。眩しさに照らされていつもより目立つにきびですら、なんだか愛おしくて仕方がなかった。

まだ私の中に、好きになれる部分がたくさんあった。頭が良いか悪いかなんてあんまり関係がなかった。メイクとお洋服と彼氏が大好きで、暇さえあればNetflixばっかり見て過ごす私が、十分に可愛かった。

 

今まで、「どんな自分になりたいか」なんて考えたことがなかった。

小さい頃から常に目の前に課題があったので、自然とその課題をできる限り完璧にこなすことに徹するようになっていた。

課題の出来が他人より良いのが嬉しくて、それが自らのアイデンティティであるかのように錯覚していた。

でもそれは、今から思い返せば「なりたい自分」なのか?

 

私が惹かれる人は、男性女性を問わず、

・優しくて、人を傷つけない振る舞いや言葉遣いができる

・趣味に一生懸命

・他人と比べない、他人を気にしない

・自立している

というところが共通点。

つまり、誰かと一緒にいたいなと思う時に、「勉強ができるか?」「スポーツができるか?」「仕事ができるか?」なんて全く気にしたことがないくせに、自分はそういう技能の面ばかり追い求めて、他人を気にしまくっていたのだ!しかも自立も全くしていない!

ということに気づいて恐ろしくなってしまった。どんどんどんどんなりたい自分から遠ざかっていってむしろちょっと面白いくらい違う感じになっていた。

 

人生意外とあっという間に過ぎていくのに、他人に承認されるか賞賛されるかなんて気にしていたら何回あっても足りないや。

ちゃんと「私は私が一番好きです!!!」って言えるような生き方していきたいな、そう気づかせてくれたテストありがとう。

あわよくば受かってますように。

自分のためにする料理、まじ、めんどくさいの話

 

え??きょうからまさかのセプテンバー???

ああ、8月よ。ついに終わってしまいましたね。

 

わたしの愛する夏休みも、あとわずか1週間の命です。

 

コロナ禍とはいえどもなんだかんだ楽しい思い出もできたなあ、やっぱり夏休みラブ…。そんなふうに思い返していたところ目があってしまった炊飯器とフライパン。1度も使われず、ついに埃をかぶってしまいました。

使った調理器具は、強いていうなら雪平鍋。

ペペロンチーノ(粉タイプ)は数え切れないほど作ったっけ。ありがとう、雪平くんと魔法の粉。わたしのエネルギーって、じつはおもにペペロンチーノとフルーツグラノーラで賄われています。

 

さて、フルグラペペロンへの感謝を傍に置いておいて、きょうの本題について真剣に考えてみましょう。

 

どうして1ヶ月という長い間まともに料理をしなかったのか?

 

さすがにちょっと、自立した人間として危ういような気がします。

女だから!男だから!というジェンダーのあり方を堅苦しく縛りつけるお話はきらいですが、それでもやっぱり女の子なのでもうちょっと料理したほうがいいかな、なんていう焦りもあります。

それでもやらないのは、やっぱりただひとつの理由、わたしがはちゃめちゃバチバチに料理が嫌いだからに他なりません。

 

料理ってその過程の中に、ちゃんと服着て準備して何つくるか何買うか考えて、買い物に出かけて、エコバッグ忘れて凹んで、帰ってきたらすぐ準備して、食材床に落としたの片付けて、食べて、のサイクル全てを内包している。そんで、極め付けに皿洗い!!!!!あの忌々しい皿洗いの野郎!!!!!!!!までも、含んでいる。

そんなのって、高度な行為すぎる。

ファミチキは思いついて買ったらすぐ食べられるししかも安いのに、それに比べてわたしの料理といったらコストがやばい。しかも残念ながらファミチキより美味しくない。

じゃあもうファミチキでええや〜んって。なんとなく野菜生活とおにぎりも買ってバランスっぽくしとこ〜(鼻ほじ)って。なっちゃう。無理。

その大変な行為によって満たされる欲求が「食欲」しかないし。あとはちょっとの「達成感」。

 

ここまでのお話は、あくまで自分のためにする料理です。わたしは、それがすごく嫌いなだけで、ある一定条件下ではやや頑張れます。

それは、彼氏のためにする料理…。

 

彼氏に料理を作ると、

自らの空腹を満たすという生理的欲求だけでなく、

「おいしい♡好きだよ♡」と言ってもらうことにより所属と愛の欲求を、

そして、「こんなにおいしいのつくれて、すごい♡」と言ってもらうことにより承認欲求を、

さらには、今日はこんなもんつくってみっか!で美味しいものができた暁には自己実現の欲求まで満たせちゃう可能性まで秘めてるんです。

マズローの欲求階層を一気に制覇できます。すごい。

 

f:id:moemetalxxx:20200901215552p:image

 

もちろん、自己実現の欲求を自分のための料理でも満たせる、という人間もおられるはず。

 

でも…でもね…やっぱりわたしにはむり!!!

 

階層の下〜の方が出来上がってない弱い人間なので、むりッス。いきなりそんな次元にとべないッス。

そういう低層で生きる人間は、カッスカスの土台を彼氏という存在に手伝ってもらってなんとかやるしかない。

そんでちょっとずつ自信つけてくしかない。そしたらいつか自分のためにも…いやそれはたぶん面倒だからこれからもしないな……。まあ、ほめてもらいつつやってこう。

 

そういう思想のもとで、7月は結構料理してた記憶があるんです。がんばって作ってあげてました。ちょっとずつ美味しくなっていって、自信もついてきていました。

8月は…そういえば、なんでご飯作ってあげる機会なかったのー!?!?!?

 

まずかったから来なくなったに一票?死。

 

もう料理なんてしないなんて言わないなんて言わない。

 

死体を池に沈めたおじさんの話

 

実家の近くに、なんともいえない大きさのため池がある。

数年前、毎日そのため池を見に来るおじさんがいた。

ほんとうにずっとため池の前にいるんじゃないかと疑うくらいに、いつそこを通りがかってもおじさんに出会うことができた。

なんなら、おじさんはキャンプ用の椅子を持ってきてじっと池を見つめていることもあった。

何の変哲もない道端の池の前に長時間佇む妙齢の男性の姿は、なんだかただならぬ雰囲気を醸し出していた。

 

おじさんの人相が元々悪かったのと、池を見るときの顔がさらに険しかったのも相まって、いつからかわたしとお母さんは、あのおじさんは誰かを殺してあの池に沈めたんじゃないかという仮説を立てた。

妄想はどんどん膨らみ、奥さんを殺したんだとか、重りをつけて沈めたものの何かの拍子で浮いてきやしないか気が気じゃないんだとか、話はどんどん飛躍していった。

そのうち、わたしとお母さんはそれが自分たちで作り上げた妄想だと言うことを忘れ、おじさんはほんとうに人を殺したのだという前提で話をするようになった。

 

現実であっても夢であっても妄想であっても、近所のため池の底に死体が転がっているなんて、怖いような、でもなんだかちょっとわくわくするような、不思議な感覚だ。いつもため池とおじさんのことを考えるときは、まるで嵐の前日のような気分になっていた。

 

 

わたしはそのあと大学生になって引っ越して、ため池のこともおじさんのこともすっかり忘れてしまった。

帰省した際に前を通って思い出すことはあれど、もうおじさんに会うことはできなくて、おじさんもまた死んでしまったのではないかと思った。

 

 

昨日、はじめてため池の前を歩くことがあった。

今まではずっと、車で通りがかるだけだったのだ。

 

久しぶりに、おじさんのことを思い出した。

おじさんがしていたみたいに、池を覗いてみた。水はすごく濁っていて、底は見えそうになかった。死体も見つからなかった。

それでもじっと見つめていると、大きなまっくろい鯉が泳いできた。それから、あっという間に何匹も鯉が現れて、餌を頂戴な、というふうに皆揃って口をぱくぱく動かしていた。

 

そのときわたしは、ああ、おじさんは鯉に餌をあげにきていたのだ、とやっと気がついた。おじさんの目的は、沈めた死体の確認なんかではなかったのだ。

心の中で、すごく丁重に謝った。優しいおじさんが知らないうちに殺人犯に仕立て上げられていたなんて、可哀想すぎる。申し訳なかった。

 

暫く時間が経っても鯉たちはまだ餌を貰うことを諦めていなくて、ずっと口を動かしていた。

餌を持っていないわたしは、なんだか気まずい気持ちになって足早にため池の前を通り過ぎることにした。鯉にも申し訳なくて、心の中で丁重に謝った。

 

昨日も、おじさんはいなかった。

あの怖いお顔のやさしい彼は、今どこで何をしているのだろう。

まだ、鯉たちはおじさんを待っている。

加減を知らない女だから

 

新型コロナウイルスで実習がなくなってしまったこのごろ、わたしがひさしぶりに感じたものは、満腹感だった。

 

朝ごはんを食べても、昼ごはんを食べても、夜ごはんを食べても、ある閾値を超えると満腹感が生じる。

きょうのおやつは、なんだかチョコ一個で満足なような気がする。

 

そんな感覚を数年ぶりに味わい、嬉しくてしょうがなくて、

 

「わたくし、今、満腹でございまーーーーす!!!!!!!」

 

と叫び出したいほどだった。

 

きょうは、どうしてわたしが満腹感を置き忘れてきてしまったのか、ちょっと考えてみたい。

 

 

 

うまれて初めて満腹感を消失したのは、大学に入学して1年目、ほやほやの新入生のときだったと思う。

 

新歓で違う部活に行くたびに、知らない先輩と出会う毎日。

やさしくしてくれる姿があまりにもまぶしくて、それに呼応してどんどんきらきらしていく周りの同級生もまぶしすぎて、

 

「あ、陰になっている。」

 

と思った。

なにかを間違えて、かがやきの強い方向ばかりに進み、そのたびに翳った。

 

もう無理、ボウリング、かっこいい先輩、バーベキュー、コミュニケーション能力の異常に高い同級生、アスレチック、可愛いマネージャー、イチゴ狩り…

わたしのようなダークサイドの人間には無理だ……南無三…

 

と思いつつも、なぜか断れない、かがやきを捨てきれない卑怯な自分。

そんな矛盾を埋めてくれたのが、カロリーだった。

 

新しい人間と出会うたびに、無理して爽やかなイベントに参加するたびに、食べ物を無心で口に突っ込んだ。

初対面の関係を上手く構築できないという事実に向き合いたくなくて、顔を背けて、ひたすらに食べまくった。

あとは、有り余ったカロリーが背中を押してくれる感覚が、なんとかわたしを社会へと適応させていた。そのうち満腹感がなくなって、いくらでもカロリーを摂取できるようになって、上手いこといったような気になっていた。

 

 

次の年もその次の年も新歓は開催され、今度は先輩として毎日新しい人間に接しなければならないという重圧がのしかかった。毎年、死にそうになった。

結局わたしはほとんど後輩と喋らずやり過ごし、車出し以外の側面でいっさいの役に立たなかった。むしろ、あまりのストレスで自宅に保管してあった新歓用のお菓子を隠れて食べるなど、信じられない回避行動をとっていた(そのあと罪悪感で泣いた)。

 

 

部活を引退したら、今度は実習が始まった。

毎月毎月実習科が変わって、そのたび新しい環境、新しい先生、新しい患者さん…

やっとこさ慣れるたび、新天地開拓を迫られる。

 

もう、腹が減って仕方がなかった。

朝ごはんをたらふく食べても、病院に着いた瞬間空腹で倒れそうだった。お腹が空くのは怖くて、たくさんたくさん食べるけれども、決して満腹にはならなかった。

 

 

わたしは、この四年間で、人間一人分の適切な食事量がどのくらいか、まったく分からなくなってしまった。

友達や彼氏の前では、同じくらいもしくはちょっと少なめの量でお腹いっぱいになったことにしていた。

そして、足りなかったら帰宅後にコンビニに走って、なんでもいいから色々口に突っ込んでいた。

 

 

こんな酷い習慣でももう自分のなかでは当たり前になっていたし、これからもこうやってやり過ごしていくのだろうと思っていた。初めて会う人間1人、爽やかなイベント参加1回ごとに、+100キロカロリーで落とし前をつけようと。

 

それなのに、たった1ヶ月実家に帰っただけで治ってしまった。

ついでに、わたしをバケモノたらしめていたのは紛れもなく大学生活だとも、わかってしまった。

 

戻りたくない、というのが正直な感想である。

過食に勤しむ醜悪な自分が、だいきらいだ。

あんな姿に戻るくらいなら、もう大学なんて行きたくない、一生実家で暮らすんだ!アアアアア!

 

でも結局のところ、わたしは、ここまできてもう後にはひけないことをわかっている。実習しなければいけない。大学は卒業しなければならない。医者にならなければならない。

そのたび、まわりに新しい人間がふえて、適応してゆく運命だ。逃げられないのだ。やめられないのだ。

 

どんどんどんどん無尽蔵に増殖する新たな人々をクリアクリアクリア、HP補給補給補給の連続が、今のところのわたしの人生で、きっとこれからもそんなかんじだ。クリアと補給、し続けますか?

 

ノーを選択すれば、職を失い、あわや餓死してしまうかもしれない。

まぁ、こんなわたしが餓死するなんて、それはそれで面白いか。

いっぱい食べたりまったく食べられなかったり、食欲に翻弄される人生…。悪くないだろう( ´_ゝ`)

 

なんてね。わたしは度胸なしのつまらない人間だから、イエスを選択するはずだ。なんでこんな、よりによってサービス業に従事してるんだ、と文句を垂れつつ頑張って働くなんて、うざったくて気持ち悪いけれどちょっと健気かもしれない。がんばれ!

まぁそんなときはまた食べ物のお世話になるのだろう。よろしく、ファミリーパックお菓子たちよ。