ばんぎゃる医学生ちゃん!

全身全霊でクソの役にも立たない記事書いてます!!!

自分のためにする料理、まじ、めんどくさいの話

 

え??きょうからまさかのセプテンバー???

ああ、8月よ。ついに終わってしまいましたね。

 

わたしの愛する夏休みも、あとわずか1週間の命です。

 

コロナ禍とはいえどもなんだかんだ楽しい思い出もできたなあ、やっぱり夏休みラブ…。そんなふうに思い返していたところ目があってしまった炊飯器とフライパン。1度も使われず、ついに埃をかぶってしまいました。

使った調理器具は、強いていうなら雪平鍋。

ペペロンチーノ(粉タイプ)は数え切れないほど作ったっけ。ありがとう、雪平くんと魔法の粉。わたしのエネルギーって、じつはおもにペペロンチーノとフルーツグラノーラで賄われています。

 

さて、フルグラペペロンへの感謝を傍に置いておいて、きょうの本題について真剣に考えてみましょう。

 

どうして1ヶ月という長い間まともに料理をしなかったのか?

 

さすがにちょっと、自立した人間として危ういような気がします。

女だから!男だから!というジェンダーのあり方を堅苦しく縛りつけるお話はきらいですが、それでもやっぱり女の子なのでもうちょっと料理したほうがいいかな、なんていう焦りもあります。

それでもやらないのは、やっぱりただひとつの理由、わたしがはちゃめちゃバチバチに料理が嫌いだからに他なりません。

 

料理ってその過程の中に、ちゃんと服着て準備して何つくるか何買うか考えて、買い物に出かけて、エコバッグ忘れて凹んで、帰ってきたらすぐ準備して、食材床に落としたの片付けて、食べて、のサイクル全てを内包している。そんで、極め付けに皿洗い!!!!!あの忌々しい皿洗いの野郎!!!!!!!!までも、含んでいる。

そんなのって、高度な行為すぎる。

ファミチキは思いついて買ったらすぐ食べられるししかも安いのに、それに比べてわたしの料理といったらコストがやばい。しかも残念ながらファミチキより美味しくない。

じゃあもうファミチキでええや〜んって。なんとなく野菜生活とおにぎりも買ってバランスっぽくしとこ〜(鼻ほじ)って。なっちゃう。無理。

その大変な行為によって満たされる欲求が「食欲」しかないし。あとはちょっとの「達成感」。

 

ここまでのお話は、あくまで自分のためにする料理です。わたしは、それがすごく嫌いなだけで、ある一定条件下ではやや頑張れます。

それは、彼氏のためにする料理…。

 

彼氏に料理を作ると、

自らの空腹を満たすという生理的欲求だけでなく、

「おいしい♡好きだよ♡」と言ってもらうことにより所属と愛の欲求を、

そして、「こんなにおいしいのつくれて、すごい♡」と言ってもらうことにより承認欲求を、

さらには、今日はこんなもんつくってみっか!で美味しいものができた暁には自己実現の欲求まで満たせちゃう可能性まで秘めてるんです。

マズローの欲求階層を一気に制覇できます。すごい。

 

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もちろん、自己実現の欲求を自分のための料理でも満たせる、という人間もおられるはず。

 

でも…でもね…やっぱりわたしにはむり!!!

 

階層の下〜の方が出来上がってない弱い人間なので、むりッス。いきなりそんな次元にとべないッス。

そういう低層で生きる人間は、カッスカスの土台を彼氏という存在に手伝ってもらってなんとかやるしかない。

そんでちょっとずつ自信つけてくしかない。そしたらいつか自分のためにも…いやそれはたぶん面倒だからこれからもしないな……。まあ、ほめてもらいつつやってこう。

 

そういう思想のもとで、7月は結構料理してた記憶があるんです。がんばって作ってあげてました。ちょっとずつ美味しくなっていって、自信もついてきていました。

8月は…そういえば、なんでご飯作ってあげる機会なかったのー!?!?!?

 

まずかったから来なくなったに一票?死。

 

もう料理なんてしないなんて言わないなんて言わない。

 

死体を池に沈めたおじさんの話

 

実家の近くに、なんともいえない大きさのため池がある。

数年前、毎日そのため池を見に来るおじさんがいた。

ほんとうにずっとため池の前にいるんじゃないかと疑うくらいに、いつそこを通りがかってもおじさんに出会うことができた。

なんなら、おじさんはキャンプ用の椅子を持ってきてじっと池を見つめていることもあった。

何の変哲もない道端の池の前に長時間佇む妙齢の男性の姿は、なんだかただならぬ雰囲気を醸し出していた。

 

おじさんの人相が元々悪かったのと、池を見るときの顔がさらに険しかったのも相まって、いつからかわたしとお母さんは、あのおじさんは誰かを殺してあの池に沈めたんじゃないかという仮説を立てた。

妄想はどんどん膨らみ、奥さんを殺したんだとか、重りをつけて沈めたものの何かの拍子で浮いてきやしないか気が気じゃないんだとか、話はどんどん飛躍していった。

そのうち、わたしとお母さんはそれが自分たちで作り上げた妄想だと言うことを忘れ、おじさんはほんとうに人を殺したのだという前提で話をするようになった。

 

現実であっても夢であっても妄想であっても、近所のため池の底に死体が転がっているなんて、怖いような、でもなんだかちょっとわくわくするような、不思議な感覚だ。いつもため池とおじさんのことを考えるときは、まるで嵐の前日のような気分になっていた。

 

 

わたしはそのあと大学生になって引っ越して、ため池のこともおじさんのこともすっかり忘れてしまった。

帰省した際に前を通って思い出すことはあれど、もうおじさんに会うことはできなくて、おじさんもまた死んでしまったのではないかと思った。

 

 

昨日、はじめてため池の前を歩くことがあった。

今まではずっと、車で通りがかるだけだったのだ。

 

久しぶりに、おじさんのことを思い出した。

おじさんがしていたみたいに、池を覗いてみた。水はすごく濁っていて、底は見えそうになかった。死体も見つからなかった。

それでもじっと見つめていると、大きなまっくろい鯉が泳いできた。それから、あっという間に何匹も鯉が現れて、餌を頂戴な、というふうに皆揃って口をぱくぱく動かしていた。

 

そのときわたしは、ああ、おじさんは鯉に餌をあげにきていたのだ、とやっと気がついた。おじさんの目的は、沈めた死体の確認なんかではなかったのだ。

心の中で、すごく丁重に謝った。優しいおじさんが知らないうちに殺人犯に仕立て上げられていたなんて、可哀想すぎる。申し訳なかった。

 

暫く時間が経っても鯉たちはまだ餌を貰うことを諦めていなくて、ずっと口を動かしていた。

餌を持っていないわたしは、なんだか気まずい気持ちになって足早にため池の前を通り過ぎることにした。鯉にも申し訳なくて、心の中で丁重に謝った。

 

昨日も、おじさんはいなかった。

あの怖いお顔のやさしい彼は、今どこで何をしているのだろう。

まだ、鯉たちはおじさんを待っている。

加減を知らない女だから

 

新型コロナウイルスで実習がなくなってしまったこのごろ、わたしがひさしぶりに感じたものは、満腹感だった。

 

朝ごはんを食べても、昼ごはんを食べても、夜ごはんを食べても、ある閾値を超えると満腹感が生じる。

きょうのおやつは、なんだかチョコ一個で満足なような気がする。

 

そんな感覚を数年ぶりに味わい、嬉しくてしょうがなくて、

 

「わたくし、今、満腹でございまーーーーす!!!!!!!」

 

と叫び出したいほどだった。

 

きょうは、どうしてわたしが満腹感を置き忘れてきてしまったのか、ちょっと考えてみたい。

 

 

 

うまれて初めて満腹感を消失したのは、大学に入学して1年目、ほやほやの新入生のときだったと思う。

 

新歓で違う部活に行くたびに、知らない先輩と出会う毎日。

やさしくしてくれる姿があまりにもまぶしくて、それに呼応してどんどんきらきらしていく周りの同級生もまぶしすぎて、

 

「あ、陰になっている。」

 

と思った。

なにかを間違えて、かがやきの強い方向ばかりに進み、そのたびに翳った。

 

もう無理、ボウリング、かっこいい先輩、バーベキュー、コミュニケーション能力の異常に高い同級生、アスレチック、可愛いマネージャー、イチゴ狩り…

わたしのようなダークサイドの人間には無理だ……南無三…

 

と思いつつも、なぜか断れない、かがやきを捨てきれない卑怯な自分。

そんな矛盾を埋めてくれたのが、カロリーだった。

 

新しい人間と出会うたびに、無理して爽やかなイベントに参加するたびに、食べ物を無心で口に突っ込んだ。

初対面の関係を上手く構築できないという事実に向き合いたくなくて、顔を背けて、ひたすらに食べまくった。

あとは、有り余ったカロリーが背中を押してくれる感覚が、なんとかわたしを社会へと適応させていた。そのうち満腹感がなくなって、いくらでもカロリーを摂取できるようになって、上手いこといったような気になっていた。

 

 

次の年もその次の年も新歓は開催され、今度は先輩として毎日新しい人間に接しなければならないという重圧がのしかかった。毎年、死にそうになった。

結局わたしはほとんど後輩と喋らずやり過ごし、車出し以外の側面でいっさいの役に立たなかった。むしろ、あまりのストレスで自宅に保管してあった新歓用のお菓子を隠れて食べるなど、信じられない回避行動をとっていた(そのあと罪悪感で泣いた)。

 

 

部活を引退したら、今度は実習が始まった。

毎月毎月実習科が変わって、そのたび新しい環境、新しい先生、新しい患者さん…

やっとこさ慣れるたび、新天地開拓を迫られる。

 

もう、腹が減って仕方がなかった。

朝ごはんをたらふく食べても、病院に着いた瞬間空腹で倒れそうだった。お腹が空くのは怖くて、たくさんたくさん食べるけれども、決して満腹にはならなかった。

 

 

わたしは、この四年間で、人間一人分の適切な食事量がどのくらいか、まったく分からなくなってしまった。

友達や彼氏の前では、同じくらいもしくはちょっと少なめの量でお腹いっぱいになったことにしていた。

そして、足りなかったら帰宅後にコンビニに走って、なんでもいいから色々口に突っ込んでいた。

 

 

こんな酷い習慣でももう自分のなかでは当たり前になっていたし、これからもこうやってやり過ごしていくのだろうと思っていた。初めて会う人間1人、爽やかなイベント参加1回ごとに、+100キロカロリーで落とし前をつけようと。

 

それなのに、たった1ヶ月実家に帰っただけで治ってしまった。

ついでに、わたしをバケモノたらしめていたのは紛れもなく大学生活だとも、わかってしまった。

 

戻りたくない、というのが正直な感想である。

過食に勤しむ醜悪な自分が、だいきらいだ。

あんな姿に戻るくらいなら、もう大学なんて行きたくない、一生実家で暮らすんだ!アアアアア!

 

でも結局のところ、わたしは、ここまできてもう後にはひけないことをわかっている。実習しなければいけない。大学は卒業しなければならない。医者にならなければならない。

そのたび、まわりに新しい人間がふえて、適応してゆく運命だ。逃げられないのだ。やめられないのだ。

 

どんどんどんどん無尽蔵に増殖する新たな人々をクリアクリアクリア、HP補給補給補給の連続が、今のところのわたしの人生で、きっとこれからもそんなかんじだ。クリアと補給、し続けますか?

 

ノーを選択すれば、職を失い、あわや餓死してしまうかもしれない。

まぁ、こんなわたしが餓死するなんて、それはそれで面白いか。

いっぱい食べたりまったく食べられなかったり、食欲に翻弄される人生…。悪くないだろう( ´_ゝ`)

 

なんてね。わたしは度胸なしのつまらない人間だから、イエスを選択するはずだ。なんでこんな、よりによってサービス業に従事してるんだ、と文句を垂れつつ頑張って働くなんて、うざったくて気持ち悪いけれどちょっと健気かもしれない。がんばれ!

まぁそんなときはまた食べ物のお世話になるのだろう。よろしく、ファミリーパックお菓子たちよ。

 

飼っていたハムスターが死んだ話

先日、飼っていたハムスターのサラミが死んだ。

 

至極わかりにくいが、サラミは名前である。

ハムだけどサラミ、なんていう軽率な名付け方をしてしまった(しかも、女の子なのに!)ことを申し訳なく思っているが、後悔はしていない。もっとも、可愛がりすぎて、わたしも母も「しゃらみ~」と呼んでいたので、今となっては彼女の名前がサラミだったのかシャラミだったのかは定かではないが、一応サラミとしよう。

ちなみに、父は「ハムスター」と呼びながらもまあまあ可愛がっていたように記憶している。

 

サラミは2018年の夏ごろ、一人暮らしのわたしの家にやってきた。

しかしその後、家があまりに寒すぎて可哀想だ、実家なら常にストーブやエアコンがついているのにという家族の見解の一致により、住処を移動させられることとなった。

以降は、主に実家で母がサラミの世話をしていた。

 

寝ているのに起こしたり、悪戯で好物のコーンを取り上げたりすると、ハムスターがこんな表情をするのかというほど恐ろしい表情を見せてくれたサラミ。

食い意地が張っていて、誰かに盗られないようにと、与えられた餌を一気に口に入れてさながら饅頭のようになっていたサラミ。

夜中にケージを噛みまくっていたサラミ。

思えば、非常に憎たらしく強欲でアグレッシブなハムスターだった。でも、そういうところが本当に可愛かった。

 

いつからか、起きるのが遅くなったり、餌を残したりするようになった。夜中もうるさくなくなった。

それでも、まさかサラミが死んでしまうなんて、露ほども疑わなかった。

 

サラミの死に方は全く劇的ではなくて、なんとなく巣を覗いた時にはもう冷たくなっていて、それから二度とは動かなかった。

いや、正確に言えば、ちょっと生暖かい部分があった。だから、わたしも母もひょっとしたらサラミは生き返るんじゃないかなんて思ってしまって、死んだことをゆるせなかった。

でも、しばらくして恐る恐るサラミを持ち上げると、その顔が死後硬直で歪んでいるのがわかった。不細工だった。生前の可愛かったサラミが思い出されて、こんなに醜いかたちにされてしまったことが悔しくて、わんわん泣いてしまった。死が、すごく怖いと思った。

 

次の日、サラミを庭に埋めた。

猫にひっくり返されないように、椿の木の下の、深い深いところに埋めた。

埋めたらもう二度とサラミが家に帰ってこれないような気がして辛かったけれど、不思議と涙は出なかった。

 

天国とか神さまとか、そういう超自然的な存在を全然信じていなかったわたしはいま、天国に行って元どおり、ふわふわであったかくて可愛くなったサラミが、大好きなコーンを飽きるまで齧りまくっているはずだと信じて疑わない。

 

天国は、死者のためではなく、地上に残されこれからも生きてゆかなければならない人間たちのためにあるのだと思った。

サラミがいま、家で生きていた時よりも幸せでいるのだと信じることで、わたしたち家族もようやく幸せになれるのだと。

 

まだ、こうしてサラミのことを文に起こしたりすると泣いてしまうけれど、気持ちに整理をつけるという意味では書いてよかったと感じている。

死ぬのは怖いけれど、それまで頑張って生きたい。そして、わたしも天国に行った時にはまたサラミを飼えたらいいな、と思う。

 

サラミ、たくさんの癒しと、笑いと、幸せをありがとう!

 

 

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『男はつらいよ』博さんのプロポーズに胸キュン爆発四散

男はつらいよ』第1作を見た。

父が愛してやまない『男はつらいよ』シリーズ。実家で時たま途切れ途切れに見ていたものの、第1作を見るのは初めて。だったのですが。これが。素晴らしかったの!!!!!

 

ほんとうだったらね、男はつらいよシリーズの説明とかもしなきゃ伝わらないんだろうけどね、わたしは今興奮しちゃっているのです。

いろんな諸々は省いて、まずはこの冷めやらぬ感動を共有させて。

 

寅さんが余計なことを言ったせいで勘違いしてしまった博さんが、さくらに別れを告げるシーンのセリフがね、もうもうもう、あまりに詩的で美しくてハイパーウルトラ胸キュンの極みだったので、思わず文字で書き起こしちゃってもいいですかというか書き起こぷんぷん丸します!!!以下!!!!!!

 

 

「僕の部屋から、さくらさんの部屋の窓が見えるんだ。

 朝、目を覚まして見てるとね、

 あなたがカーテンを開けてあくびをしたり、

 布団を片付けたり、

 日曜日なんか、楽しそうに歌を歌ったり、

 冬の夜、本を読みながら泣いてたり。

 この工場に来てから3年間、毎朝、あなたに会えるのが楽しみで、

 考えてみれば、それだけが楽しみでこの3年間を…。

 

 僕は出て行きますけど、

 さくらさんは幸せになってください。」

 

 

も〜〜〜〜〜!博さん!!!!!!

 

わたし、まあこの22年間の長いような短いような人生でいろんな本やら漫画ドラマやら映画やらに触れてきましたけれども、これがベストオブベストでネバーエバエバエバーのプロポーズだと思います。

この映画、1969年のものって、もう半世紀前にこんな超ド級の言の葉が紡ぎ出されていたなんて、信じられない。もう、人類ってばプロポーズに関しては進化の余地がないよ…。

 

まず、「〜たり」連続の部分。

短いフレーズながら、情景がありありと浮かんで来るんです。

そして、魔法のような対比の構造!!

あくびで無防備なさくら、片付けで普段のしっかり者のさくら。日曜日の楽しそうなさくらに、冬の夜のセンチメンタルなさくら。

この4つで、博さんが1年を通していろんなさくらに出会えて、恋をしていたことがしっかり伝わってくる。

 

極め付けに、「考えてみれば、それだけが楽しみでこの3年間を…。」です。

博さんは印刷工場で働いていて、決してその仕事は楽ではなく、手もいつも真っ黒で。

そんな彼の生活に光を射したさくらへの思いを凝縮したのがこのフレーズ。

 

 

 

きゃ〜〜〜。何回見ても痺れる。びりびり。

 

人生で1回でいいから、「だけ」って言われてみたくないですか?

わたしは言われたいです。「だけ」の魔力にくらくらやられちゃいたいです。

 

 

 

さて、今回びっくりしたことは、博さんとさくらの馴れ初めってちゃんと描かれてたんだ!ということです。

わたしが見ていた『男はつらいよ』シリーズでは、いつも2人は既に夫婦だった。だからこそ、こんなにも素敵なやり取りがあって結婚したことに驚きました。

 

こうして考えてみると、身の回りでもう既に「夫婦」として認識しているたくさんの二人にも、それぞれの素敵な軌跡があるんだろうなと。

当たり前の日常に実はドラマがゴロゴロ転がってて、毎日あっちこっちでプロポーズしたりされたり繰り広げられてる、そんな様子を想像すると、世界がめちゃめちゃ輝きに満ち満ちていることに気づく。

そんなきらきらを2時間ずつに切り取っておすそ分けしてくれてるのが、映画だったりするのかなあ。

 

ここ1週間訳あって学校をお休みしているわたしなのですが、毎日映画を4、5本見ています。

家から1歩も出られないわたしが、カリフォルニアにも土星にも行けるのが映画です。

中でも寅さんが連れて行ってくれる1969年の柴又は、小さいけれどあたたかくてやさしいきらきらでした。これが、いちばん辞められないやつなのね。

 

絶対、明日『男はつらいよ』第2作を見るな、これは。

容れ物携え宇宙旅行して

容れ物だけになりたい。それも、たくさん穴のあいた容れ物。そうしたら風通しがよくなって、倒れずに済むような気がするのに。軽くてどこへでも持ち運び易くて、それでも倒れないのに。

 

詰まるところ現状のわたしは、中身ぎっしりなのだ。内臓脂肪とか皮下脂肪とか、寂しさとか期待とか、やることなすこととかで。しかも、挙げ句の果てには便秘だし。

昨日、試しにそういう要らない中身をぜんぶぜんぶ一気に小学校の焼却炉に突っ込んで燃やしてみたら、煙突からのけむりは意外とキラキラしていた。そのままやつらは天まで昇って星になった。すげえ。一方わたしはというと、自らの脂肪や排泄物が光栄なことに銀河の一部になったのに、それでも宇宙に行けなかった。燃やしてる最中に食べたビスコが重くて飛べなかったのだ。残念だ。

 

あんなに苦労して捨てたのに、今朝目覚めたら、もう体には元のように色んなものがぎっしり詰まっていた。これじゃ宇宙に行けないよと、藻搔いて苦しんで、そういう焦りがまた重力になって、わたしを地球の表面にへばりつかせた。残念だ。

 

せめて夢のなかだけでも飛びたい、そんなときに使えるのは、意外にもフランキンセンスの入浴剤。自宅のお風呂で楽しめるお手軽トリップで視界は煌めき、ついに容れ物だけになった身軽なわたしは、やっぱり簡単に宇宙に行けた。手始めに行った火星の空は真っ赤。夕焼け、青くなってく世界に照らされて、地球と真逆じゃんね、なんて笑って、見つめあって、キスしたのは名前も知らない人だった。どこから来たの、と聞いたら月出身だなんて、もう会えないじゃないか。なんてったって、月からのお迎えに逆らえないのは地球でも有名な話なのに。ああ、使者が来る前にかぐや王子とあれやこれやと滅茶苦茶に…なんてもたもたしているうちに香りが切れて、あっという間にトリップは終了です。いいところだったのに。

 

さて、きっと明日も容れ物だけになれないわたしが、飛べずに墜落するのはまた病院なので、ついでに実習でもしてくるはずです。毎日えらい。

おとといのプリン

おととい食べたプリンがとっても美味しかった。

ただのプリンじゃなかった。なんてったて、そのプリンはわたしに春をもたらした。

我こそがスプリング代表ですと言わんばかりのうすピンク色のプリンはいちご味で、下に待ち受けるこいピンク色のソースもまたいちご味だった。あまいいちごと酸っぱいいちご、夢の2層構造。

最初はあまい部分だけ食べる。おいしい。次に、そーっと下の方を掬ってみる。おいしいい。最後は、思い切ってぐちゃぐちゃにした。おいしいいい。

 

だいすきな人が買ってきてくれたプリンだから、なくならないようにゆっくりゆっくり食べた。それでも、あっという間にプリンはなくなってしまった。悲しかった。

そういう時にわたしは、時間を巻き戻す力がほしくなる。できれば、プリンを食べ始める瞬間からじゃなくて、プリン買ってきたんだよって自慢げにしているところから、再生。なぜならその顔がすっごく可愛かったから。なんなら、そこだけの2時間耐久動画、見続けたい。ああ、神様おねがい!

なんて願っても瞬間は一度きりのもので、食べ終わったらすぐ解散です。桜が散るみたいにあっけなく食べ終わったプリンと過ぎた時間を惜しみながら、かゆい目こすって鼻ずびずびすすって自転車で帰る、そんな3月の夕暮れ。

 

プリン、打出の小槌で無限に出てきたらいいのに。ついでに、無限になんて言わないから、1回だけでも朝から晩まで会ってみたいのに。

でも、「如何して君はひとりしかいないの?」って問いかけは、椎名林檎先生ですら答えを持ち合わせていないみたいで、いわんやわたしをや。永遠を望んだ瞬間世界は滅亡、なのです。あーあ。如何してプリンもひとりいっこしかないの?あーあ。

 

美味しいものって、いつも、滅ぼすのは自分からなのね。