1,800キロカロリーのセイカツ
1日1,800キロカロリーを失って、同じぶんだけ摂取することで命を永らえさせている。
白くて頑丈な大きなコンクリートの中に均一にくり抜かれた程よい大きさの箱のなかで、1匹の生命体だけで、毎日休むことなくただエネルギーを出し入れするのは、なんだかおかしいことだ。
1,800キロカロリーは、別の系から運んできてそのまま口に入れることもあれば、気まぐれに煮たり焼いたりといった加工を施すこともあるが、あくまで1,800キロカロリーである。
箱のなかでの行動は、エネルギーの摂取だけでは止まらない。
身体や衣服を清潔に保つための行為。
はたまた、箱自体を整然とさせる行為。
これらは、生命の維持には全く関係がないように思われるが、人間の「セイカツ」として休まず続けなくてはならない。
セイカツは、放っておけばだらだらと流れていってしまう一見不可逆な方向性の変化を、元に戻す行動だ。
すなわち、息をするだけでエネルギーを枯渇させ、汗をかいて、箱を汚くしてしまう私は、セイカツをしなければならない。
時々、1匹だけでセイカツをすることが怖くなることがある。
砂のように流れていく様々を掬っては戻し掬っては戻しての24時間を7回繰り返しても、また砂は同じように流れる。
箱のなかで1匹で暮らす個体は、ただその1匹、自らのためだけに砂を休まず運ばねばならない。もはやそこに、役割はない。
どうしてそんな仕事が課せられてしまったのか、考えてみても一向にわからない。役割がないセイカツは、ふと辞めてしまいたくなりそうで、怖い。
そんな時は、この先体内に宿すであろう、別の生命体のことを考えてみる。
体内の生命体にはコードが繋がっていて、私は1,800キロよりやや多めのカロリーを摂取するセイカツで、同時に2匹の生命を永らえさせる。
生命体が体外に出た後は、今より大きめの箱のなかで、3匹の個体が群れをなしたカゾクを形成したい。そうすれば、「ツマ」であり「ハハ」であるという2つの役割を獲得し、より何も疑問に思わずセイカツできるはずだ。
そんな素晴らしい営みに思いを馳せると、自分が「コ」であったことを思い出す。
大きな箱のなかで、私は今まさに思い描いているようなセイカツをしていた。
役割が変わっていくだけなのだ。
「コ」が「ツマ」「ハハ」になり、やがて「ババ」になって、静かに火が消える。
私たちは、その間ずっと、世界への抵抗を続ける。
放っておけば腹が減り、部屋は汚くなり、服もシーツも枕も臭くなっていく、自然な流れに必死に抗ってセイカツすることで、DNAにプログラミングされた「個体の複製」を連続させていくホモ・サピエンス・サピエンスの、なんと可愛らしいことだろうか。
そして私もまた、丸い地球の上でセイカツし続ける可愛いホモ・サピエンスの構成員であった。
「早く役割がほしいね」
なんて、箱のなかの共同セイカツ者、クワ科イチジク属インドゴムノキに呟いて、皿を洗う。